御祭神

主祭神(しゅさいじん)

事代主神(ことしろぬしのかみ)

= 別名 =

えびす様(大義名分を一言で示される神)

御利益(ごりやく)

商売繁盛・福徳円満・起業成就

家内安全・五穀豊穣・開運守護

海上安全(大漁)・良縁結び

相 殿(あいでん)

 

●春日大神(かすがおおかみ)

御利益 「出世の神様」

 

●住吉大神(すみよしおおかみ)

御利益 「航海安全の神様」

 

●八幡大神(はちまんおおかみ)

御利益 「勝負の神様」

 

●高良玉垂命

御利益 「厄除・延命長寿の神様」

事代(ことしろ)主(ぬしの)神(かみ)

天(あま)照(てらす)大御神(おおみかみ)様の御弟 須佐之男(すさのおの)命(みこと)の御子孫、大国主(おおくにぬしの)神(かみ)(俗に言う大黒様)の第一の御子神様にまして、天神の系を承けたまった尊い大神様である。父神さまを御助けになって、国土の経営産業福祉の開発につくした。

事代主神は多くの神々を率いて皇孫(こうそん)を奉(ほう)護(ご)し我国の建国に貢献あそばされた。

神武(じんむ)天皇(てんのう)・綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)・安寧(あんねい)天皇(てんのう)三代の皇后(こうごう)(天皇の正妻、妃)はその御子孫の

姫神で、国(こく)初皇統(しょこうとう)外戚(がいせき)第一(だいいち)の神にしてなお、古来(こらい)宮中(きゅうちゅう)八神(はっしん)の御(おん)一柱(ひとばしら)として御尊崇(ごそんけい)極(きわ)めて篤(あつ)い神様である。

御神徳

そもそも事代主と申す御神名は事知主・事始主の意味であって、すべて世の中に生起するあらゆる事を辨へ知しめして是非曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給ふ意味で、平たくいへば人の世の日常の行為や行動を教導し主宰せられる偉大な御神徳を頌へ奉ったもので、大神様は実に叡智の本躰、誠(真言、真事)の守神と拝し奉る。

また、事代主大神様は一名「えびす」様と申しまして、世の崇敬特に厚く、私達が最も信仰し、一番親しみのある神様です。釣竿を手にして鯛を抱かれた

福徳円満の御神影はあまりにも有名です。人の世の日常の行為や行動を指導され、漁業の祖神海上安全、商売繁昌の守護神としての御霊験の広い事は極めて広く知られている通りです。そして大義平和の

御神徳、産業福祉の道をお開きになった御神業、福徳の神と仰ぐ神様でもあります。

えびす神は、耳が遠いとされており、そのため、神社本殿の正面を参拝するほか本殿の裏側にまわり祈願しなくてはならないとされる。

創始

三島神社は全国に七〇〇社からあり伊予大三島の大山祇神社か伊豆の三嶋大社と関係のある神社である(どちらを総本社とするかは諸説ある)。

関東・伊豆には、源頼朝が伊豆・三嶋大社を崇敬していた関係から、鎌倉武士により三嶋大社より勧請されたと伝える三島神社が多い。

当社の創建は古くさだかではないが文献にみられる物には、伊豆国  中納言藤原家房○  の玄孫 西牟田弥次郎家綱が延応元年(西暦一二三九年)に地頭職に補せられ西牟田に入部、西牟田氏は農耕地の宝庫である蛭池に住民の守護の神として伊豆の三嶋大社より

御分霊を行い、寛元二年(西暦一二四四年)創建されたことが記されている。

江戸幕府の後期文政年間には久留米藩(有馬藩)の祈祷神社にもなり近郷二十二ヶ村の総社ともなって名実共に大神社となった。

現在の本殿は、江戸末期に創建されており、昭和八年十月二十一日(宮崎季樹宮司代)

神殿・拝殿を銅板葺きに

大祭は、(旧暦十一月二日)新暦では十二月十五日に行っていたが、現在は十二月初めに

蛭池の祭として氏子総出で盛大に行われている。

mukashinozu

尚、三島神社が建てられる以前の守り神は境石内末社若宮八幡宮で延応以前の産神にして千年以上の護り神様であるといわれている。

日本中の神社の歴史は古く、紐解くと神話の世界まで繋がっている。

当、三島神社が水沼総社と称えられて来た由縁は、水沼の君の御霊社(忠魂社)としての氏神信仰までさかのぼる。

水沼廣池

神苑Photo

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